【プレ・カンストゲーム】
思考停止の殻を破り、カンストゲーム・高次元情報学をより現実に活かしたい方へ。
高次元思考のベースを作る着眼例をお届けします。
初めての方はこちらの「プレ・カンストゲームとは」をご覧ください。
お役立ちコラムも併せて読まれると有用です。
おおよそのレベルは「お役立ちコラム < プレ・カンストゲーム」です。
人生のハンドルを取り戻し、現実化の精度を上げて行きましょう。
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「自己責任」
そのとおりだと思うが、一瞬ドキリとする
あまり良い感覚・気持ちではないように思う
これは何か?
細かいかもしれないが、放っておくと現実化に影響があるのでは?
何か対策はあるでしょうか?
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少し話は変わりますが、自己責任という言葉で思い出したことがあります。
あるサイトで、ある医療否定本を読まれた方が、
「いろいろ既存知識以外の説明をして、最後に、後は自己責任でどうぞって・・無責任では?」
という旨のご意見を記されていました。
なるほどと思いました。
ここから、色んな問題が見えてきます。
おそらく世の多くの方が、同じように思われると思います。
突き放されたような、冷たさのような、
言いっぱなしの無責任さのようなものを、
お感じになるのだと思います。
しかしながら。
本当に突き放されたのでしょうか?
そこに冷たさ・無責任さがあるのでしょうか?
そもそも、人生はすべて、自己責任です。
あなたの現実に何が起ころうと、
どのような目にあおうと、
常に、責任はあなたにあります。
いやなこと言いますねー(笑)
「あなたは悪くないですよ。相手が悪いのです。」と言ってもらいたいですよね(笑)
でも、ここが肝要です。
本当は、イヤなことでも、厳しいことでもなんでもありません。
なのになぜ、厳しく感じるのでしょうか?
そして、もう一つ間違えやすいのは、善悪で判断しないことです。
自分がわるい、相手がわるいと善悪で判断すると、
さらに罠にからめとられます。
何があっても泣き寝入りしなさい、ということではありません。
イヤなことを我慢しなさい、ではありません。
例えば犯罪被害にあわれたら、速やかに必要な対応をされることです。
イヤなことは、きちんと断ってください。
(その時にもコツはあります)
相手がどうであれ、常に最終決定権は、あなたにあるということです。
結婚が分かりやすい例でしょう。
良い人がいるからと勧められ、結婚したとします。
でも、思ったような人ではなかった、
思ったような結婚生活を送れていないという場合、
責任は誰にあるでしょうか?
良い人がいるからと勧めた人にあるでしょうか?
パートナーにあるのでしょうか?
結婚制度にあるのでしょうか?
ちがいます。
責任はあなたにあります。
最終的にその人と結婚すると決めたのは、あなたです。
あなたが決めたから、あなたの現実となりました。
そこで、自身以外に原因を求めると、問題がさらに増えます。
でも多くの方が、これをやりがちです。
他者にぶーぶー文句を言い、言っても変化しない現実を見て、
またぶーぶー文句を言っています。
責めているのではありませんので、どうぞご安心くださいね。
まずは知りましょう、です。
どれほどネガティブな現実でも、その現実を招いた原因が、
無意識であっても、あなたの中に常にあります。
ネガティブな現実を体験される時、その原因に大抵自覚がありません。
自覚がないので、原因と結果の因果関係を
なかなか受け入れることが出来ません。
しかしながら、ここで、
自分に原因があると認めるか、
認めないか、です。
それにより、その後のあなたの現実は、大きく異なってきます。
自分に原因がある、自分が発端であると認めることにより、
「では、自分はどうしたいのか?」
「そのためには、どうすれば良いのか?」
そう考えることが出来るようになります。
解決に向けて動き出すことが出来ます。
認めることができないと、あなたは被害者となります。
被害者の立場でいると、あなたの現実はどうなるでしょうか?
しかしながら、この「被害者でいる」ことを
無意識に選択される方が、とても多いです。
それにも理由があります。
もっと軽く考えてみてください。
現実は結果です。
あなたの思考の結果です。
結果が気に入らなければ、思考を変えれば良いだけです。
「あ、この現実イヤだなー」と思ったら、原因を特定し、
「よし、じゃあそれを変えよー」です。
それだけのお話です。
「何ということだ・・私の中にこのような思考が・・このような原因が・・・。
私は何と愚かなのだろう・・なんてダメなヤツなんだ・・
これも精神修行が足りないからだ・・
もっとがんばらないと・・もっと◎◎しないと・・・」
などと思う必要はまったくありません。
むしろマイナスになります。
自己責任という言葉に、おののきを感じるか。
それとも、自由な面白さ、楽しみの広がりを感じるか。
その違いは、どのように説明できるでしょうか?
高次元知識を実践されている方ほど、
楽しく自由で豊かな現実を体験されている方ほど、
自己責任という言葉は「うん、当たり前だよね」です。
自然に、そう思うようになります。
自然に、それがわかるようになります。
そのことをご自身の現実をとおし実感されている方ほど、
自己責任という言葉に、より大きな自由、面白さ、楽しさを感じます。
絵本の中のマ法使いが、マ法の杖をふると現実に変化があらわれるように。
思考を動かすとあなたの現実が動くことを、実感されているからです。
望む現実を体験するために、マ法の杖は要りません。
ただ、正確な知識があれば良いだけです。
では、本日の問いです。
■自己責任という言葉を聞いて、あなたはどのような印象をいだかれましたか?
■自己責任という言葉に、冷たさ、無責任さ、突き放されたような印象をいだくのはなぜでしょうか?
■いつどのようにして、その思考を身につけたのでしょうか?
■自分がわるい、相手がわるいと善悪で判断すると、どうなるでしょうか?
■ネガティブな現実を体験する無意識の原因とは、どのようなものがあるでしょうか?
■原因が自分にあると認めることができず被害者の立場でいると、その後の現実はどのようなものとなるでしょうか?
■それはなぜでしょうか?
■被害者でいることを無意識に選択されている方が一般にはとても多いのですが、それはなぜでしょうか?
■自己責任の意味をわかっていても、ドキリとするのはなぜでしょうか? このドキリとは、どのように説明できるでしょうか?
■このドキリを放っておくとどうなるでしょうか?
■どうすれば良いでしょうか?
正確な知識は力です。
楽しく自由で豊かな現実を望まれる方は、
罠や仕掛けにからめとられることなく、
人生のハンドルをその手にしっかりと握って行きましょう。
あたたかな敬意と感謝を込めてお届け致します。
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