ハートに響くメッセージ

くり返される歴史、激化する情勢、そして・・・

迷いを晴らし人生を変えるきっかけは、ときに片言隻句であるものです。
今必要とされている方のもとへ、ハートに響くメッセージをお届け致します。

思考停止の殻を破り現実を変える高次元情報学の基礎知識は、「プレ・カンストゲーム」でもお届け致しております。
(おおよその難易度は、「お役立ちコラム一覧(ハートに響くメッセージ含む)」<「プレ・カンストゲーム」です。)

※用語のご説明:類は友を呼ぶ「波動・エネルギーの共振」とは

楽しく自由で豊かな現実を望まれます方は
人生のハンドルをその手にしっかりと握ってまいりましょう。

 

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今後いっそう激化する混乱に巻き込まれず

荒波をクリアする

 

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まりなちゃん on X:

“私が本当にヤバいと思うのは、

読売新聞も、朝日新聞も、毎日新聞も、日経新聞も買われてしまって、

系列のテレビ局も政権の宣伝機関になっていることです。

だからこの政権が何を企んでいるのか全く報道しない。

国民は状況が分からない。

日本はとてつもなく危険なことになっているのです。” / X

 

 

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『戦争責任者の問題』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html  

伊丹万作氏『映画春秋』創刊号・昭和21年8月より

 

『(略)

実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。

考えれば考えるほどわからなくなる。

そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。

みながみな口を揃えてだまされていたという。

私の知つている範囲では おれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。

ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。

多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、

それが実は錯覚らしいのである。

 

たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、

軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、

上からだまされたというだろう。

上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。

すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、

いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 

すなわち、だましていた人間の数は、

一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。

 

しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、

いま、一人の人間がだれかにだまされると、

次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを

際限なくくりかえしていたので、つまり

日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 

このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、

新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、

さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織

いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを

思い出してみれば直ぐにわかることである。

 

たとえば、最も手近な服装の問題にしても、

ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、

政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。

 

私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、

たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、

たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、

親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。

 

もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、

思想的表現ではないのである。

 

しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、

そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。

 

そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、

彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、

眉を逆立てる演技をして見せることによつて、

自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。

 

少なくとも戦争の期間をつうじて、

だれが一番直接に、

そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、

苦しめつづけたかということを考えるとき、

だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、

 

直ぐ近所の小商人の顔であり、

隣組長や町会長の顔であり、

あるいは郊外の百姓の顔であり、

あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、

あるいは学校の先生でありといつたように、

 

我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、

あらゆる身近な人々であつたということは

 

いつたい何を意味するのであろうか。

 

いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、

国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に

追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。

 

そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、

同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ

生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 

しかし、それにもかかわらず、

諸君は、依然として

自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 

そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。

「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。

 

たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、

戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたと

いいきれる親がはたしているだろうか。

 

いたいけな子供たちは何もいいはしないが、

もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、

彼らから見た世の大人たちは、

一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

 

もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、

戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を

思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 

ここで私はその疑いを解くかわりに、

だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、

非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、

はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

 

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、

しかしだまされたものは正しいとは、

古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。

 

だまされたとさえいえば、

一切の責任から解放され、

無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、

もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 

しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、

私はさらに進んで、

「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」

ことを主張したいのである。

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、

半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。

 

我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。

これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。

 

つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、

昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、

そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。

しかし、有機的生活体としての人間の行動を

純理的に分析することはまず不可能といつてよい。

 

すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に

意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。

これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。

 

また、もう一つ別の見方から考えると、

いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら

今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

 

つまりだますものだけでは戦争は起らない。

だますものとだまされるものとが

そろわなければ戦争は起らないということになると、

戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)

当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

 

そしてだまされたものの罪は、

ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、

 

あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、

思考力を失い、信念を失い、

家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた

国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが

悪の本体なのである。

 

(略)

そして、このことはまた、同時に

あのような専横と圧制を支配者にゆるした

国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

 

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく

すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。

また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。

ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。

しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、

彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、

日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう

 

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、

一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、

私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

 

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、

おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

 

いや、現在でもすでに別のうそによつて

だまされ始めているにちがいないのである。

 

一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ

人間が進歩するわけはない。

 

この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、

それ以上に現在の日本に必要なことは、

まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し

だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、

徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

 

こうして私のような性質のものは、

まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、

だました側の責任を追求する仕事には

必ずしも同様の興味が持てないのである。

 

(以下略)』

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「自分のいまの立ち位置を知る」とは?

より抜粋。

『上記をご覧になり

「やれやれ、昔の経営者の方は愚かですね」

等思うことは簡単でしょう。

 

そう思われた方にお尋ねいたします。

例えば、あなたは

先の茶番ウイルス騒動で

マスクをしていませんでしたか?

注射を打っていませんでしたか?

マスクをしていない人を、批判的に見ていませんでしたか?

 

後からおかしさに気づき、国はけしからん、何とかしないとと

デモや投票や署名等々でどうにかしようとされませんでしたか?

 

甘い言葉に乗せられ、利用され

すごい情報を教えてもらったと思い込み

ミスリード情報をせっせと発信されていませんでしたか?

 

ミニ渋沢栄一くらいにはなれるような気になり

自分なら地方都市くらいはより良い方向へ導けるように思っていらした方は

そもそも渋沢氏自体が、意図的に喧伝されている表向きの華々しさとは異なり

本当はどのような役割の人物であるか、ご承知でいらっしゃいますか?

 

身近なところでは、例えば

ふるさと納税をよろこんで利用されていませんか?

キャッシュレス決済に対応していないお店は遅れている、と思っていらっしゃいませんか? 

導入するようせっせと働きかけていませんか?

マイカを作っていませんか?

 

そのように問いかけられたとき

どきりとされた方。

確かに以前はそのようなこともあったけれど

今はちがう。

今はおかしさに気づいた。

本当に、本気で、楽しく自由で豊かな方向を

エネルギー的にかるい方向を望んでいる・・・という場合。

 

その思いは、すばらしいものです。

どうぞ大切になさってくださいね。

 

そうして。

「自分はもうおかしさに気づけた。

だからこれからは気持ちを入れ替え

いっそう気をつけて、もうひっかからないよう

本気で真摯に歩んでいる」

そうお思いの状態。

 

それがすでに

ズレていることに

お気づきでしょうか?

 

上記問いかけにひとつでも当てはまった場合

「今、これから気をつける」

ではなく

 

今もうすでに

ご自身はたくさんの罠の渦中であること

ご自身がすでにもういくつもの罠にからめとられている状態であること

それに気づいていないことに

まずは気づけるかどうか?

気づこうとされるかどうか?」

です。

 

ひとつふたつ何かを知って

「今知ったからもう大丈夫」と思われるか?

「まだ他にも知らないことがあるのではないか」と思われるか?

 

全身沼の中にどっぷりで

顔までつけていた状態から

顔だけは上を向き、空を見上げた状態で良しとされているか?

それとも

いま既に全身が沼の中であることに気づき

沼から出て岸に上がろうとされているか?

 

どちらを選ばれるか

何をどのように考えるか

常に、個々の自由なご選択です。

そこに、善悪優劣上下はありません。

 

ただ、その後の体験、現実の差は

どんどんひらいてまいります。

「自分のいまの立ち位置を知る」とは? より抜粋以上。

 

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先の茶番ウイルス騒動は

単発・偶発の騒動ではありません。

一層激化が予定される

今後に続く「終わりの始まり」です。

 

やれやれ騒動はもう終わった、ではなく

これからが本番です。

 

あなたは何度

だまされ続けますか?

いつまでそれを

くり返しますか? 

 

みんなで立ち上がって社会・政治を変えよう!という発想は

すでに罠の渦中です。

その他の罠にもどっぷりの発想です。

(そのように刷り込まれていますので、仕方ないわけではありますが)

 

政治や社会の真の仕組みを知らないまま

これまでのパターンをくり返すも自由。

くり返さないも自由。

 

ちなみに、くり返しの罠も

もう最終段階です。

もうくり返す必要はなく

檻から出られなくなります。

 

そちらの現実は望まない方

巻き込まれたくない方は

正確な知識、必要な知識とコツを

押さえましょう。

 

深呼吸をし、リラックスしましょう。

 

望まない方向からはそっと離れ

本当に望む方向に注力をし

どんどんかろやかにつながってまいりましょう。

 

あたたかな敬意と感謝を込めてお届けいたします。

 

 

 

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