真 偽 判 別 法 Ⅳ
7.宗教の本質を看破しながらも、それぞれの選択を尊重していること
良く知られた大宗教からカルトと呼ばれる新興宗教まで、世には多くの宗教があります。
真摯な気持ちで信仰されている方も多くいらっしゃいます。
その方々を否定するものでは全くありません。
ただ、美しい外観や美辞麗句をさっくり取り去り、事実だけを申し上げますと。
宗教宗派の種類を問わず、宗教の目的はすべて同じです。
しかも共通しています。
宗教はいずれもピラミッド型組織です。
「ピラミッド型組織? 当たり前ですよ。組織はどこもそうですよ」と思われるかもしれませんが、それは思考停止です。
宗教に限らず、ピラミッド型組織・社会は、必然的に、ある一定の目的を達するものとなります。
そのためのシステムです。
個々の意思とは関係なく、その形態の中にいる限り、大なり小なり必ず影響を受けます。
宗教は神という「上位存在」を設け、崇めさせています。
これも一定の意図があります。
大宗教は信者が多く、世の中に当たり前にあります。
神社・仏閣・教会を当然のように神聖なもの、尊いもの、文化的価値がある素晴らしいもの、と多くの方が見ていらっしゃいます。
しかし本当にそうでしょうか?
正確な歴史を知り、なぜそれが作られたのか、なぜそれがそこに在るのか、今どのような役割を果たしているのか。
思考停止をやめ、冷静に探求していくと、見えてくるものがあります。
特定の神を信じる信仰心は美しいもののように言われますが、見方を変えますと、ある意味◎◎ともいえます。(詳細はレポートにて)
神を大切に思う、見えない存在を大切にする、というのなら、そもそも形も場所も要らないはずです。
ただあなたが今そう思い、そのように行動すれば良いだけです。
なのになぜ、形や場所があるのでしょうか?
新興宗教やカルトは新しいので目立ち、おもしろ可笑しく取り沙汰されていますが、カルトも大宗教も本質は同じです。
すべての始まり、すべての存在の誕生、ありとあらゆる命の始まり、宇宙の誕生、全存在を知れば、あらゆる存在に優劣はないことがわかります。
すべて尊重されるべき大切な存在であるとわかります。
「特定の何か(だけ)を大切にする」、という考えは、他を下に見る、ともいえます。
優劣での判断、上から下に見る・・・これは愛ある見方とは言えません。
神という上位存在・絶対的存在を置く理由は何でしょうか?
なぜ神は人の「横」ではないのでしょうか?
なぜ「上」に置かれ、特別な存在として崇め奉られているのでしょうか?
それが神様だから・・
それが当たり前だから・・
人と同列なんて、それこそ不遜・・
いずれも思考停止です。
そのあたりの理由も、歴史を含め客観的で一貫した説明ができている高次元存在であることが、正確性を重視するためには必要です。
ちなみに、神社仏閣などで願い事をすることは、実は危険です。
詳しくは下記のレポートでお届けしています。
神社で願い事は危険であるという事実。【厳選】高次元情報で「神社仏閣・異次元世界」の嘘を見抜き真実を知る・20要点の真偽解明
8.チャネラーの脳内に宗教的フィルターがなく、ニュートラルであること
日本人は比較的宗教色が薄いと言われます。
とはいえ、宗教の刷り込みはゼロではありません。
葬儀や大晦日にはお寺へ。
初詣・七五三・商売繁盛の祈願には神社へ・・・。
多くの方は神社仏閣がそこにあること、足を運ぶことに違和感はありません。
それらを敬い、尊ぶことに、疑いを持つ方は少ないでしょう。
ただ正確な事実を知ろうと思ったとき、そのような思考停止や思い込みがあるとフィルターがかかります。
特定のフィルターがかかると、チャネリング情報を翻訳する際、内容が異なるもの・色がついたもの・誤ったものになりがちです。
宗教を否定や嫌悪という攻撃で見るのではなく、思考停止でもなく、特定のものに心酔・傾倒するのでもなく、ニュートラルであることが必要です。
普通に生まれ育ち生活していれば、常識・教育・メディア・娯楽をとおし、誰でも無数の思い込み・刷り込みがされていきます。
チャネリング情報は翻訳の際、チャネラーの知識に左右されます。
そのため、正確さを求める場合、できるかぎり誤った刷り込みが少ないほうが望ましいです。
刷り込みが無いということはありませんので、「固執していないこと、既存の事柄に疑問を持っていること」と言ったほうが良いかもしれません。
特定の何かを強く信仰していないこと。
もしくは特定の何かを嫌うなど、強い感情に影響されていないこと。
できるかぎり物事の見方がニュートラルなほうが、正確な翻訳ができる可能性が高くなります。
とはいえ、宗教的知識が豊富なチャネラーの方々を否定するものでは全くありません。
特定の宗教フィルター・・・例えばキリスト教や仏教など、チャネラー自身が特定の宗教に造詣が深い、信心深い、理解が多いことはよくあります。
その場合、同じチャネリング情報でも、例えば仏教を信仰されている、又はその世界観がお好きなチャネラーの方が翻訳されると、その内容に仏教色が付きます。
言葉の選び方や表現など、仏教を良しとされる方々には、とても受け入れやすく、理解しやすいものとなります。
今まで知らなかった物の見方に触れることにより、刷り込みが外れ、思考停止の殻を破るきっかけとなる場合もありますので、それはそれで良いことだと思います。
しかし、やはりどうしても、翻訳精度が下がります。
正しいことをまちがいと訳したり、まちがいを正しいと訳したり、正反対の答えを導き出してしまうことも少なくありません。
アルスノヴァハーモニーでは絶対の正確性を求めていますので、中立の意識を大切にしています。
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